上杉謙信 第3話(後半)
※ネタバレ注意
※名前は双葉です。
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謙信「何を言っている」
「え?」
謙信「先ほども言ったはずだ。俺に対してお前のような無遠慮な口を利く女は、他にいない」
「そ、それは大変失礼しました」
(なにしろこの時代に来るまで武将と会話したことなんてなかったから、マナーがわからないな)
謙信「謝罪を求めているわけではない。ただ――その無遠慮さで、周りの環境とやらを打ち壊していけば良いと思っただけだ。乱世の生は短い。ならば、せいぜい己の自由に生きるのだな」
「自由に…」
飾り気のない謙信様の言葉が、すとんと胸の中に落ちる。
(私の悩みはすごく単純なことだったのかもしれない。謙信様のおかげで、そんな気がしてきた)
「ありがとうございます!私、頑張ってみます」
謙信「お前の意見に感想を述べたくらいで、いちいち礼を言うな。好きにしろ」
冷たく聞こえる言葉も、もう怖いと思わなかった。
「はい、好きにします」
(不思議だな)
知らず知らずのうちに口元が緩む。
それを見た謙信様が軽く目を見張った。
謙信「お前は……」
(どうしたんだろう、じっと見て)
「謙信様?」
謙信「いや……お前に似合いの、呑気な笑顔だと思っただけだ」
(呑気な笑顔……。そういえば、謙信様の前で笑ったの、初めてかもしれない)
「ええっと……褒め言葉、じゃないですよね」
少し気恥ずかしくなりながらそう尋ねると…
謙信「当たり前だ」
素っ気ない言葉とは裏腹に、謙信様の薄い唇が穏やかに弧を描いた。
(っ…謙信様の方こそ、こんな顔で笑うんだ…)
端正な顔に浮かんだ笑みは綺麗で、どこか儚げで……一瞬、呼吸を忘れる。
(こんなに純粋な笑い方をする人だったんだ)
謙信「何だ」
視線に気づいた謙信様が、むっとしたように私を見つめる。
(あ、せっかくの笑顔が……。もったいない)
「っ、いいえ。なんでもありません」
(もっと見たいなんて言ったら、絶対に笑ってもらえなくなる気がするから)
誤魔化して、さっきの笑顔を頭の中に刻みつける。
謙信「なら良いが……。お喋りはお終いだ、行くぞ」
「あ、はい!」
私と謙信様は、しばらく黙って歩き続ける。
すると……
(ん……?何か光ってる)
さらさらと流れる小川のそばへ差し掛かった時、闇の向こうに小さな淡い光が漂う。
謙信「蛍か。上流に群れがいるようだな」
(野生の蛍がいるんだ、すごい……!)
「あの、少し近くで見ていきませんか?」
謙信「なぜ俺がそのようなことに付き合わねばならん」
「いいじゃないですか。通り道だし、きっと綺麗ですよ」
わくわくしながら謙信様をお誘いする。
謙信「なんだ、急に厚かましくなったな、お前は」
「自由に生きろと仰ってくださったのは謙信様ですから」
謙信「おい、待て。勝手に行くな」
文句を言いながらも、謙信様はしっかりとついて来てくれる。
上流に向かい水辺に近寄ると…
(わあ……)
想像以上の光景が待ち受けていた。
「こんな風景見たの、初めてです」
謙信「他愛ないことではしゃぐ女だ」
(この時代の人にとっては、そんなに珍しくないのかな?)
いくつもの淡い光が辺りを照らして、この世のものと思えないくらい幻想的だ。
大きな物音を立てたらそれが壊れてしまう気がして、声を潜める。
「蛍の光って、どこか儚い感じがしますね」
謙信「蛍はその短い生の中で番を求め、すぐに死ぬ。儚いのも当然だ」
「だからこそ、きっと光るんですね。自分の命をかけて相手を呼ぶために」
謙信「……どうせ死ぬというのに、愚かしいことだ」
「そうでしょうか……?でも、こんなに綺麗です」
謙信様は物憂げに、蛍の舞う空を見上げる。
謙信「……そうだな。愚かで、美しい光景だ」
どこか哀しく笑った謙信様の白い横顔が、闇の中でほのかに浮かび上がっている。
冬の湖面のような瞳の中に、蛍の淡い光が瞬いてその色を和らげていた。
(綺麗……)
視線を敏感に感じ取った謙信様が、こちらを向く。
(……っ)
ぱちりと目が合って、息を呑んだまま言葉が喉に詰まる。
謙信「――なぜ、そのような顔で俺を見る」
(そのような顔……?)
返事を待たず、謙信様の手が伸びてきて…
「っ…謙信様?」
謙信「……!」
繊細な指先が、私の頬に触れる直前で止まる。
謙信「――お前があまりにも百面相をするせいで、調子が狂った」
「百面相…。それ、奉公先の人たちにも言われました」
(乱世を生き抜くために、もっとポーカーフェイスを身につけた方がいいのかな)
謙信「誰にでもそういう顔を向けると言うのか。……無防備にもほどがあるな」
「今、何か言いましたか?」
ひとり言のように何かを呟いた謙信様を問いただすけれど……
謙信「ただの戯言だ」
謙信様はすべてに飽きてしまったかのように、河原に背を向けて歩き出す。
謙信「気が済んだのなら行くぞ。――双葉」
「え……」
(っ…私の名前…初めて、呼ばれた)
驚いて立ち尽くしていると、謙信様が不審そうに振り返る。
謙信「どうした。まだ見足りないのか」
「いいえ、今行きます……っ」
謙信「……早くしろ」
謙信様のあとを追いながら、かすかに頬が熱くなるのを感じた。
(少しは、謙信様と近づけたってことでいいのかな)
あれほど遠い世界の人に思えた謙信様の背中に、今は手を伸ばせば触れられそうな気がした。
(触れたら氷のような拒絶が待ってるのかもしれないけど)
幻のような光景に背を向けて歩いていても……
瞳の奥には、いくつもの儚い光とその中にたたずむ謙信様の姿が鮮やかに焼付いていた。
その夜、謙信様に大通りまで送ってもらった私はようやく安土城へたどり着いた。
(すっかり遅くなっちゃった)
渡された橋の上を城門へ向かって歩いていると……
秀吉「遅いぞ!」
三成「双葉様、お帰りなさいませ」
「秀吉さん、三成くん!」